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#「エコなのか、それともケチなのか?!」いろはdeおしゃべり

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 エコとケチって紙一重。 ときどき、じぶんのやっていることが、エコなのか、ケチなのか分からなくなる。 まっ、わたしの場合、ケチが多々あるかな (笑)。 最近、わたしの頭の中は、物に溢れた実家の生前整理のことでグルグルしている。 さっさとスッキリしたいのに、母親は「見てから捨てたい」という、、、 ゴミ屋敷の住人が、「これはゴミじゃない!」と言うと聞いたことがあるけれど、ホントだよ! 大量に捨てるゴミがあるというのに、ウチの母親も「捨てる物はないよ、ないよ」と言っていた。 トホホだよ、いつ片付くことやら、さっさとスッキリしたいのに、、、 ありがたかったのは、食べたものをそのまま放置して、腐っているというゴミがなかったこと。 それでも、あの大量のゴミには疲れるけどね、、、 実家の大量の不要な物と格闘して、わたし自身にも変化が。 まだ使うかも?!とか、まだ使えるかも?!と思って捨てられなかった物を、どんどんと捨てるようになっている。 ケチの部分で捨てられない物の捨てるタイミングが早くなっている! そして、母親も「もうゴミになる物は買わない」と言いながら、ほんとうに使わない物は手放せるようになっている。 ウチの母親の場合は、自分でゴミの処分をし始めて、変化している。 目には目を、ゴミにはゴミを!だね。 いつまで続くかはわからないけど、、、ね、、、

#今日のつぶやき vol.5

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  地元の近所の田植え風景。 実家は田舎。 電車はもちろん走っていない。 バスは1時間に2本だけ。 ほんとうに田舎なんだけど、さすがに手植えの風景は見ない。 手植えで稲を植えて生活ができていた時代のような、のんびりした時間の中で生きたいと、最近よく思う。 そして、せっかく自然豊かな地元に戻るから、つぎの仕事は「農業」か「林業」に携わりたい! とも、よく考える。 でも、重い物が持てるわけでもないし、肉体労働ができるわけでもないからね、、、 でもでも、何かできる仕事があるかもしれないから、年内に無事に引越が完了したら、「農業」か「林業」の仕事、直接ではなくても、なにかお手伝いができないか、探してみよっと (^。^)y-.。o○

#「夫婦の愛とは49日?!」いろはdeおしゃべり

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 「夫婦の愛は、相方が他界して、49日間、思いっ切り泣いて悲しんだら、悲しみから立ち直れる距離間がいい」と、人から聞いたことがある。 だから、仏教の49日の法要は、死別の悲しみとの区切りの日なんだと。 いったい、どんな距離なんだろうね?! 認知症の第一人者と言われている長谷川先生の本「ボケ日和」に、「 妻は夫を忘れ、夫は妻を忘れない」と。 「おっかあ、どこいった?」と、いつまでも探し続ける男性の認知症の方は多いけれど、「おっとう、どこ行った?」と、言い続ける女性の認知症の方は少ないんだとか。 長谷川先生曰く、男性は奥さんに尽くされることに慣れているからではないかと。 その反対に、ご主人に先立たれた奥さんは、解放されて、背中に羽が生えて開放的になる方が多いんだとか。 愛の国フランスには、「ワインと女房は古ければ古いほど味がある」という言葉があるけれど、 フランス人男性の認知症の方は、「Mon amour (モナ ムール / 恋人とか愛しい人の意)、どこ?」と言って、奥さんを探す人は、日本人男性より少ないのかな??? 独身主義ではないけれど、たぶん今世は生涯独身になると思う。 独り暮らしが長くなり、もう人に合わせて暮らすということが考えられないから。 だから、「夫婦の愛」というものを深く知るという体験は、ないんだろうな、、、 「夫婦の愛」というものを深く知ることはないかもしれないけれど、 「恋をしたいけれど、相手に出会わないと言う人は、恋の魅力をもとめすぎているのかもしれません。恋に落ちた後には、もっと長い試練の時期が控えているのに。」 という、アメリカの絵本作家の亡きターシャ・テューダーの言葉が、結婚にも当てはまるんじゃないかなと思っている。 寝食を共にして育つ愛、、、 49日で別離の悲しみから立ち直れる愛、、、 いったい、どんな愛なのかな?! ずっと独身で生きてきたから、「夫婦の愛とは〇〇です」と、話せる体験がないから、今日のおしゃべりはこれで終わることにした (^^)

#「物忘れ」いろはdeおしゃべり

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固有名詞が覚えられない (-_-) 固有名詞が出てこない (-_-) さらに、じぶんの言ったことを確認するように、もう一度同じことを言う回数が増えている。 わたしの脳、大丈夫かなと、最近ときどき思う (-_-) ある程度、年を取れば、固有名詞が出てこないのは、いいんだって。 たとえば、芸能人の名前が出てこないのも、覚えられないのも、別にいいんだって。 人は、「今、生きる」のに不要なものから忘れていくから。 だから、固有名詞を忘れるのは、まだまだいいんだって。 そのうち、普通名詞を忘れるようになるんだって。 普通名詞を忘れるということは、ものの存在価値が分からなくなること。 スマホが、電話をかけたり、Lineをしたり、何か調べるために便利な物という、なにに使われるものかも思い出せなくなることが、認知症になるとあるらしい。 普通名詞を忘れるって、怖い、、、 でも、その普通名詞を忘れるころには、スマホも必要じゃなくなる年齢なんだろうね、きっと。 まだ普通名詞を忘れているということはない。 うん、ないはず?! だから、わたし、まだまだ大丈夫なのかな?! 脳は、要らない物から忘れる! だから、物忘れするたびに、「わたし、大丈夫?!」と、心配しなくてもいいんだと。 心配はしなくてもいいけど、日常や人間関係に支障をきたさないように、メモ魔にはなろっと (^。^)y-.。o○

#「2種類の愛」いろはdeおしゃべり

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 愛にもいろいろある。 家族愛、親子愛、兄弟愛、恋愛、友愛、師弟愛と、いろいろな関係性のいろいろな愛の形がある。 憎しみもまた愛のひとつの形。 マザー・テレサが、「愛の反対は憎しみではなく無関心」と。 憎しみはまだ相手に関心があるということだから、愛の反対ではないと。 そんな色々な形がある愛の中に、2種類の「Yesの愛」と「Noの愛」がある。 「Yesの愛」の愛は表現しやすい。 相手に感謝を伝えたり、共感したり、応援したりすれば表現できるから。 でも、「Noの愛」の愛を表現するのは難しい。 「No」と言って、嫌われたり、見捨てられたり、拒絶されたりするのが怖いから。 表現するのが怖いと思う「Noの愛」、タイミングよく上手に表現できるようになれるといいなぁ (^。^)y-.。o○

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